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猗窩座の「至高の領域に近い」の意味は?闘気を練り上げても実は届かない?

上弦の参・猗窩座(あかざ )は、煉獄杏寿郎に対し、
「至高の領域に近い」という評価をします。

 

さすがは煉獄さん、とも思うし、相手の強さを素直に認める猗窩座らしい発言であり、
間違いなく、鬼滅の刃の名場面なのですが、色々と考察する余地があるセリフでもあります。

 

この、猗窩座の言う「至高の領域」とは一体、何なのでしょうか?
ここでは、そもそも、言葉の意味として「至高」とは何かについて確認し、その上で、

鬼滅の刃の世界の「至高の領域」について説明します。

 

  • 至高の領域に「近い」という表現に隠された真意
  • 猗窩座自身は至高の領域に入ることはできるのか
  • 闘気を練り上げた人は本当に至高の領域に近いのか

 

こうした内容についての考察をしていきます!

 

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「至高」という言葉の意味は?

 

至高とは、次のような意味です。

 

この上なく高く、すぐれていること。また、そのさま。最高。

出典:https://www.weblio.jp/content/%E8%87%B3%E9%AB%98

 

「この上なくすぐれていること」、簡単に言えば、「最高」ということです。

 

ちなみに、「美味しんぼ」という漫画でも、「究極vs至高」の料理対決という形で、
「至高」という言葉が出てきます。
「至高」という言葉は、誇り高い海原雄山にふさわしいと言えます。
ちなみに「究極」という言葉を掲げているのが、主人公の山岡さん側で、雄山は手強い宿敵です。

 

至高の領域とは?日本語としての意味は?

 

「至高の領域」という日本語はあまり一般的ではないのかもしれませんが、
「至高の域」という言葉はあるようです。

 

また、「達人の域」という言葉もあって、これは、
「世間一般を超えた、技術や芸事のレベルのこと」という意味になります。

 

こうしたことから、「至高の領域」は、これ以上はもう上がないくらいに、
限界まで高いレベルに達するということ、であると理解できます。

 

猗窩座の「至高の領域に近い」の真意

 

猗窩座は、煉獄さんをほめているのですが、
「至高の領域に近い」のセリフの意味は、それだけではありませんでした。

 

鬼への誘いの根拠

 

このセリフの前に猗窩座は煉獄さんに、
「お前も鬼にならないか?」という提案をしているのですが、
至高の領域に「近い」煉獄さんを鬼に勧誘することは、
猗窩座の価値観からすれば「素晴らしい提案」なのです。

 

煉獄杏寿郎が至高の領域にたどり着かない理由

 

練り上げられた闘気の持ち主である煉獄さんでさえ、
猗窩座がいう「至高の領域」に届いていない理由は何でしょうか?

 

それは、「人間だから」だと言います。
寿命がありいつかは死んでしまう上に、
年をとってしまえば力が衰えてしまうのが人間です。

 

こうした理由づけをしていることから考えると、
煉獄さんが「至高の領域にたどり着けない理由」として、
「人間だからだ」という猗窩座の言葉の意味は、
単に現時点での煉獄さんがまだたどり着いていないというだけでなく、
人間である限り、一生、たどり着けない、ということになります。

 

猗窩座自身は至高の領域に届いたの?

 

ここまで考えて一つ疑問に思えてくるのが、
偉そうなことを言っている猗窩座本人は、
至高の領域に入れるのかどうかです。

 

ややネタバレ気味になってしまうのですが、
答えはNOです。

 

猗窩座も長年、修行をして至高を目指してきたのですが、
まだ至高の領域には届くことができていません。

 

だからこそ、それほどまでに、煉獄さんに鬼になって欲しかったのです。
鬼化煉獄を相手に戦い続けることで、さらに強くなれると思ったのでしょう。

 

至高の領域とは?どうすればいける?

 

鬼滅の刃の世界における「至高の領域」とは、結局、何のことだったのでしょうか?

 

至高の領域とは「透き通る世界」「無我の境地」

 

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至高の領域とは、炭治郎の言葉でいう「透き通る世界」ことであることが、後に判明しました。

 

「透き通る世界」に入ると、鬼の身体の表面が透けて見えて、
心臓や脳の位置さえわかるようになります。

 

また、相手に闘気を悟られることなく攻撃することができます。

 

 

闘気を察知する能力をもつ猗窩座に対して、炭治郎は、「透き通る世界」に入る際に勝利しました。

猗窩座は、この時の炭治郎の状態こそが、自分が求めてきた「至高の領域」であり、「無我の境地」であると悟ったのでした。

 

至高の領域に入る条件は謎?

 

至高の領域、別名「透き通る世界」は、どうすれば使えるようになるのでしょうか?

 

その条件は、明確には明かされていません。

 

日の呼吸の創始者である継国縁壱(つぎくによりいち)は、
生まれつき生き物の身体が透き通って見えていました。

 

岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)は、目が見えないが鋭い聴覚を持つ剣士で、
極限まで練り上げられた肉体を持ち、痣を発現させて上弦や無惨と戦いました。

戦いの中で、悲鳴嶼は「透き通る世界」に入っています。

悲鳴嶼さんに「体が透けて見えないか」と言われた伊黒小芭内 (いぐろおばない)さんも、
一瞬だけ無惨の身体が透き通って見えていました。

 

また、上弦の壱の黒死牟(こくしぼう)も、悲鳴嶼さんの身体を透視しているような描写があるので、
「透き通る世界」を使えると考えられています。

 

この四人に、炭治郎の父・炭十郎と、炭治郎を加えた6名が、「透き通る世界」を見ることができた者たちです。

 

共通点としては、全員が痣持ちであることと、
技が練り上げられているという点はあるかと思いますが、
それなら他の柱も可能だったはずですので、
「透き通る世界」の明確な発動条件は、はっきりとは不明です。

 

闘気を練り上げるのは無駄?

 

しかし、猗窩座が言っていた、「闘気を練り上げ」るという方向性は、
「透き通る世界」あるいは「至高の領域」にたどり着く上で、
それほど有効でないような気もします。

 

というのは、「透き通る世界」発動時の炭治郎は、
全く闘気を発していなかったからです。

 

「透き通る世界」が闘気を発しないものなのであれば、
いくら闘気を練り上げても、あまり意味がないように思えるので、
猗窩座は「至高の領域」については考え違いをしていたと言えそうです。

 

逆にいえば、闘気の観点からは煉獄さんはまだまだだったとしても、
「至高の領域」と闘気は本来は関係がないのだとすれば、
煉獄さんも生きていたら発動できていた可能性もあるでしょう。

 

まとめ

 

「至高の領域」について考察しました。

 

  • 煉獄さんの勧誘の説得のために言及
  • 猗窩座は至高の領域に届いていない
  • 別名「透き通る世界」「無我の境地」

 

 

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