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江戸風鈴とは?定義や歴史を調査【篠原風鈴の歴代職人さんについても】

「江戸風鈴」について興味を持ったので、

調べてみました。

きっかけは「煉獄家の風鈴」で「江戸風鈴」のことを知ったからで、

これまでは寡聞にして存在を存じ上げていませんでした。

 

しかし、調べるうちに、心を動かされることもあって、

是非ともこのブログで情報をまとめておきたいと思ったので、

素晴らしい日本の伝統文化を継承する江戸風鈴のことをここに共有します。

 

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江戸風鈴とは何か?

 

まず、江戸風鈴という言葉が意味するものは何かを

はっきりさせておきましょう。

というのは、江戸風鈴は、伝統的な手法でつくられるガラス製の風鈴のことなのですが、

それだけではないのです。

 

「江戸風鈴」の定義は?商標登録されたブランド名

 

というのは、実は、江戸風鈴というのは、ある特定の一門だけが使える名称なのです。

 

同じ日本の伝統工芸品でも、「南部鉄器」とかは、

色々な職人さんの流派があるようです。

 

しかし、「江戸風鈴」は、その名付け親となった、

篠原儀治さんの流れを組む一門しか使えません。

商標登録もされたブランド名となっています。

 

こうしてみると、「江戸風鈴」というワードは、

一般名詞というよりは、固有名詞に近い言葉なのかもしれませんね。

 

「江戸風鈴」の命名の意味は?

 

江戸風鈴という命名がなされたのは、

昭和40年頃のことでした。

 

昭和の時代なのに、どうして「江戸」?

 

と不思議に思ってしまいそうですが、

これにはもちろん、れっきとした意味があります。

 

昔は江戸と呼ばれた場所(=東京)で、

(まだ東京が江戸と呼ばれた)江戸時代と同じ製法で、

つくられた風鈴、という意味です。

 

伝統を受け継いでいくのだ、という決意や覚悟のようなものが感じられる命名だと思います。

 

江戸風鈴の歴史(前史)

 

江戸風鈴の歴史についてみていきましょう。

 

風鈴の由来は占風鐸(せんふうたく)

 

風鈴の歴史は、中国の唐の時代にまでさかのぼります。

 

風鈴の原型となったものは、唐の時代の占風鐸(せんふうたく)というものです。

竹に音の鳴るものを吊るし、音の鳴り方や風の向きから占いをするという風習でした。

 

日本では風鐸という魔除けとして伝わる

 

その後、日本に伝来し、「風鐸」という、

音に魔除けの効果があるとされる道具として伝わりました。

 

この風鐸は銅製の鈴のようなもので、お寺に吊るされていました。

風鐸は、鐘(かね)の中に舌(ぜつ)というのがぶら下がっているような道具で、

風鐸を振るとこの舌が鐘を叩いて音が鳴る仕組みのようです。

 

占風鐸が始まった唐の時代は、618-907年と、長い期間で、

始めた岐王の時代がいつかわからないのですが、

比較的早い段階でのことのようです。

 

というのは、日本の最古の風鐸とされるものが、

飛鳥寺でみつかっているのですが、

材料の一部に鉛が使われています。

その鉛は、朝鮮半島や中国などの海外産の可能性があり、

7世紀までの風鐸は、原料を海外から輸入してつくられたと考えられているのです。

 

7世紀というのは、601-700年なので、唐の時代でもわりと前半と言えるわけです。

 

その後、鎌倉時代に成立した「法然上人絵巻」に、「風鈴」という言葉が出てくることから、

「風鐸」だけでなく「風鈴」という呼び名も使われるようになっていきました。

 

江戸時代にガラス製の風鈴が登場

 

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風鈴は色々な材料でつくられていたのですが、

やがてガラスの風鈴が登場します。

 

ガラス自体は、日本にも古来から存在していたのですが、

ガラス玉のようなものばかりで、

ガラス製の容器のようなものは、16世紀(1500年代)の宣教師たちによる伝来によります。

17世紀(1600年代)後半になると、長崎でガラス製造が行われるようになりました。

 

その後、18世紀(1700年代)前半に、ガラス製造は江戸にも伝わり、

ガラス風鈴もつくられるようになります。

 

江戸風鈴の歴史(創業・命名)

 

現在の「江戸風鈴」の創業やブランド名の登場などの歴史についてみていきましょう。

 

江戸風鈴の創業は大正4年?!

 

「江戸風鈴」とは、昭和の時代に、江戸時代と同じ製法のカラス風鈴に対して、

名付けられた言葉で、ブランド名・商標であると説明します。

 

でも実はこの江戸風鈴、創業は、大正時代なのです!

 

「昭和に命名された江戸風鈴が、大正に創業された??」

 

かなり頭が混乱してきましたね!(笑)

説明します。

 

実は、「江戸風鈴」の名付け親の篠原儀治さんは、二代目なのです。

ガラス風鈴の技術は、先代の篠原又平さんから、受け継いだものでした。

 

その先代が創業したのが、大正4年のことだったので、江戸風鈴は大正4年の創業、ということになります。

篠原又平さんが師匠から独立して、

現在も受け継がれている江戸風鈴の老舗(しにせ)・篠原風鈴本舗の前進となる、

篠原風鈴店を始めたのですね。

 

昭和40年ごろ、「江戸風鈴」と命名

 

やがて先代から事業を引き継いだ二代目・篠原儀治さん。

 

それまでは、「ガラス風鈴」とか「ビードロ風鈴」と呼ばれていた風鈴を、

昭和40年ごろ、改めて、「江戸風鈴」と命名しました。

 

「ビードロ」というのは、ガラスの別な呼び方です。

ガラスって、結構、色々な呼び方があったみたいですね。

 

江戸風鈴の歴史(現在まで)

 

江戸風鈴とのブランド名を得てから、現在に至るまでの歴史をみていきましょう。

 

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二代目・篠原儀治さんの二人の後継者

 

篠原儀治さんの技術は、長男・裕さん、次男・正義さんが受け継ぎます。

 

正義さんの方は、「篠原まるよし風鈴」として独立しました。

「まるよし」は、お名前に含まれる「義」の字を、丸で囲んだ表記をします。

 

正義さんの独立は1990年のことで、場所は江戸川区でした。

裕さんの方は、どこかのタイミングで儀治さんと代替わりしたものと思われますが、いつかはわかりません。

ただ、本家である「篠原風鈴店」が「篠原風鈴本舗」と改名されたのは、

この独立を受けて、区別を明確にするためだったと考えて間違いないと思われます。

 

ちなみにお二人が子供の頃は、篠原風鈴は墨田区にあったみたいですね。

「まるよし」ができた時点で、正義さんの実家に当たる、

篠原風鈴店(篠原風鈴本舗)が江戸川区に移ってきていたのかもしれません。

 

いずれにしても、篠原風鈴本舗は現在、江戸川区にあります。

一方、「篠原まるよし風鈴」はその後、江戸川区から千葉県千葉市、

さらにその後、千代田区東神田へと、

住居及び工房を移り、最終的に現在の台東区佐竹商店街に移ってきました。

 

「篠原まるよし風鈴」は現在も篠原正義さんがやっておられます。

やがてお店を受け継ぐために、息子さんたちが修行されています。

 

篠原風鈴本舗は、篠原儀治さんの後を継いだ三代目・篠原裕さんが亡くなり、

四代目に当たる篠原由香利さんとそのご家族や、その他の篠原風鈴本舗に入社した職人さんたちがやっています。

 

まとめ

 

江戸風鈴について、「江戸風鈴」の意味するものや歴史について調査しまとめてみました。

 

  • 江戸風鈴は独自のブランド名
  • 江戸時代の技術でつくられる
  • 風鈴の由来や歴史についても
  • 篠原風鈴の一門の歴史と現在

 

上記のような内容についてでした。

ホームページやYouTube動画なども調べ、感動したりもしたのですが、

今回はとりあえず、情報のまとめという形でお届けいたしました!

 

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