【鬼滅の刃/ジョジョ6部】童磨とプッチ神父の人間の救い方を比較!似ている点・違いは?

この記事では、鬼滅の刃の童磨とジョジョ6部のプッチ神父を比較します。

「鬼滅の刃」の作者・吾峠呼世晴さんは「ジョジョ奇妙な冒険」に影響を受けたことで知られており、実際、鬼滅の刃の様々な要素にジョジョの影響が見られます。

どちらも単独で読むだけでも素晴らしい作品ですが、この二つの作品を比較してみるとまた新しい発見があったりして楽しいです。

以下では、鬼滅の刃に登場する鬼の童磨と、ジョジョの奇妙な冒険の6部であるストーンオーシャンに登場する敵キャラのプッチ神父(エンリコ・プッチ)を比較していきます。

特に、主人公たちの敵ながら、宗教指導者・聖職者として人間を救うことを使命としている彼らの「人間の救い方」にどのような共通点や違いがあるのかに注目します。

敵キャラとしての童磨とプッチ神父

童磨とエンリコ・プッチはそれぞれ主人公サイドの敵として登場します。

どちらもボス級のキャラ(特にプッチはラスボス)であり、かなりの強敵です。

童磨は十二鬼月・上弦の弐

鬼滅の刃に登場する鬼の中でも、
「十二鬼月」の称号を与えられた鬼たちは特に強いのですが、
その中でも上位6名の鬼たちは「上弦の鬼」と呼ばれ、
鬼を狩る組織・鬼殺隊の最強メンバーである「柱」たちでも苦戦するほどです。

童磨はその上弦の鬼たちの格付けにおいて、
二番目である「上弦の弐」。
つまり、鬼のボスである無惨と上弦の壱・黒死牟に続いて
三番目の強さということになります。

鬼として貪欲に人を喰らい力をつけていたり、
無惨のために積極的に動こうとする一面もあり、
主人公サイドである鬼殺隊にとってかなりの脅威になり得る存在として描かれています。

プッチ神父はDIOの信奉者

6部までのジョジョ奇妙な冒険のシリーズは、
主人公の家系であるジョースターの血族と、
DIO(ディオ・ブランドー)という人物との因縁の物語です。

DIOは「人間をやめ」て吸血鬼になったため、長生きです。
そのため、世代を超えてジョースター家と戦ったりしています。
また、DIOの死後も、彼が生前に行ったことの影響により不穏なことが起きたりします。

6部の時点でDIOは死んでいますが、プッチ神父は生前のDIOと親交がありました。

DIOが言っていた「天国」を実現するためにプッチは行動しており、
その過程でジョースター一族と戦います。

DIOを信奉していたプッチにとって、
ジョースターの血族は因縁の敵であり、
「天国」の実現の前に排除すべきと考えているようです。

最強説やチート級との評価

上弦の弐・童磨とエンリコ・プッチ神父は、
それぞれの作品において強敵として描かれます。

どちらも、「最強なのではないか」「チート級の能力の持ち主」と
考えている人もいるようです。

鬼滅の刃の世界では、鬼たちが使う「血鬼術」、
ジョジョ世界では「スタンド能力」という異能が登場します。

童磨の血鬼術、プッチ神父のスタンド能力は、どちらも非常に強力です。

童磨は氷の能力を操り、
「対人なら非常に厄介な能力」「氷で分身をつくる能力はチート級」
というような印象をファンたちに持たれているようです。

プッチは複数のスタンド能力を使用しましたが、
中でも「メイド・イン・ヘブン」という
時を加速させる能力は、最強の呼び声も高い承太郎さえも苦戦させました。
ジョジョシリーズの他の部のラスボスたちもチート級の能力を持っていますが、
プッチは彼らにも見劣りしません。

このように、童磨もプッチ神父も、「最強説」が出てくるくらいに強い実力を持っています。

童磨とプッチはどちらも宗教指導者

童磨とエンリコ・プッチには、宗教上の指導者として人々を導く立場にあるという共通点があります。

童磨は万世極楽教の教祖

童磨は「万世極楽教」という新興宗教の教祖をしています。

鬼以外にも職業(?)があるという点が変わっていますね。

「教祖」といっても、万世極楽教を始めたのは童磨自身ではなく、童磨の親でした。
童磨がまだ鬼になる前の人間だった頃に両親が死に、
教祖の役目を引き継ぎ、鬼になってからも長年続けてきました。

正直、そもそもが人々を騙す悪徳宗教だった可能性もありますし、
童磨自身がどこまで本気かは疑わしいのですが、
少なくとも建前上・表面上、彼は人を救う宗教上の指導者という立場にあるようです。

エンリコ・プッチは神父

プッチは「神父」という肩書からわかるように、
聖職者という立場にあります。

宗教上の教えを人々に授け、導くことを仕事にしているわけですね。

童磨とは違い、新興宗教ではなく、伝統的な宗教です。

「牧師」ではなく「神父」なので、
キリスト教のカトリックと考えられます。

神父の仕事には、教会の懺悔室で罪の告白を聞くというのがありますが、
作中では、プッチ神父は刑務所に努めています。
囚人の更生のために教え導く仕事のようです。

童磨には、鬼として食糧を得ること、
プッチ神父には、DIOの遺志を次ぐことやジョースター一族を倒すこと、
といったような、裏の顔や企てがあるものの、
普段は宗教により人々を導く活動をしているという点で、共通点がありますね。

童磨による人間の救い方

童磨による人間の救い方には二種類あります。

  • 鬼にしてあげる
  • 人間のまま救う


プッチとの比較という意味では、二つ目の方が重要ですが、両方とも見ていきましょう。

鬼にして救う

童磨はかつて、妓夫太郎と梅の兄妹を鬼にしています。
梅の方は焼かれて死にかけていたので、
人間のままだと助かるはずがありませんでしたが、
上弦の鬼は、無惨の血を分け与えることで人間を鬼することができます。

鬼となり生き延びた梅は、「堕姫」と名乗り、
やがて兄とともに上弦の鬼・妓夫太郎/堕姫となりました。

ただ、このように鬼にして救うというのは、
若干、イレギュラーなやり方だと思いますし、
童磨も、普段の人間の救済の活動とは関係なく、気まぐれでやっただけかもしれません。

また、二人は鬼となりたくさんの人間の命を奪ってしまい
地獄行きになったので、救われたと言えるのがどうかは難しいところです。

人間のまま救う

万世極楽教の指導者としての童磨の本来の人間の救い方は、
鬼にすることなく、人間のまま救おうとするものです。

そのやり方は、「だまして食べる」というものです。

「救ってないのでは??」と思ったことでしょう。
しかし、そこには童磨なりの考えがあるようでした。

まず、最初の「だまして」というのは、
童磨を信じさせるということで、
話を聞いてもらったり、一緒に暮らしていく中で
幸福を感じたり、未来に希望を持たせるということです。

信者はそのように幸福な状態になっている中で、
やがて食欲を抑えきれなくなった童磨に食糧として消費されます。

童磨としては、不幸なまま人間社会で生きるよりは、
自分の血肉になってともに生き続ける方が幸福なはずだという考えがあり、
このような形で救済しているつもりのようです。

ちなみに上記の説明は、童磨自身の言葉や、「嘴平琴葉」という女性と童磨との関わりが描かれたエピソードに基づいての考察・解釈に基づいて行ってみました。

プッチによる人類の救済方法

プッチ神父は、
自分のところにやってくる信者たちだけを救おうとする童磨と違って、
人類全体を救済しようとします。

しかも、
単にルーティン的に、あるいは気まぐれにやっているように見える
童磨と違い、プッチ神父は計画的に救済を実行します。

プッチ神父にとっての人類の救済とは、
DIOの言っていた「天国」を実現することです。

その方法とは?

まず、メイド・イン・ヘブンによる時の加速により、
世界を終わりまで加速させます。
終わりまで到達すると、再び世界は始まります。

このようにして世界は一巡し、「一巡後」の世界が始まるのです。

一巡後の世界でも、前の世界と同じ出来事が起きていきます。
時の始まりから、一巡前に「加速」を始めた時点まで持っていき、
その続きから、一巡後の世界を始めます。

一巡している間の「時の旅」の中で、
人々は自分の身に起きることを見ているので、
自分がどのような運命を辿るのかを記憶している状態で、
一巡後の世界で生きることになります。

つまり、予め運命を知っているのです。

この先、悪いことが起こること、
それは避けられないものであることが、
わかっている、という状態で生きていくわけです。

これは一見、絶望的な状態ですが、
プッチ神父の考えは違います。

悪いことが起こる運命であるとわかっていれば、
覚悟ができます。

そして、覚悟は絶望を吹き飛ばす、というのです。

運命に対して覚悟ができていることこそが幸福なのだ、
というのがプッチ神父の信念であり、
人類が皆、覚悟ができているようにすることが、
彼にとっての人類の救済なのです。

コメント