漫画「キングダム」では、秦王・政の強敵として登場する呂不韋。
呂不韋陣営に対抗するために、政たちは苦心します。
そういう、重要なボスキャラとも言える存在である呂不韋ですが、
史実(実際の歴史)の中では、どのような存在だったのでしょうか?
ここでは、司馬遷の「史記」という歴史書の中で呂不韋について書かれた箇所を参考に、
呂不韋という人物が政治家として力を手に入れた経緯や始皇帝との関係性などについて説明したいと思います。
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キングダムの呂不韋の立ち位置
その前にまずは、キングダムという作品においては、
呂不韋というのはどういう位置にあるのか、ごく簡単に説明しておきます。
漫画やアニメの「キングダム」の世界では呂不韋は圧倒的な実力者であり、
主人公の信や政にとっては、脅威であり憎き敵として描かれている存在です。
「丞相」という立場にあり、強い権力をもっています。
秦の大王である政は、形だけの王にすぎません。
このように、呂不韋は、政が中国統一を目指す上で大きな壁となる存在です。
同時に、キングダムファンにとっては、呂不韋本人や呂不韋陣営の人物たちの自信にあふれた言動がとても魅力的に感じられたりもします。
なので、呂不韋やその周囲の人物たちの、実際の歴史における役割について、気になってくる方も多いことでしょう。
史記における呂不韋
キングダムという作品には、実在の人物が多数登場します。
それらの人物は、司馬遷の歴史書「史記」に登場し、
キングダムのストーリーは、史記の内容に反しないように進んでいきます。
では、その史記で呂不韋はどう描かれているのか?
「呂不韋列伝」という章の中で、呂不韋が力を持つようになった経緯や最期について記述されています。
ここでは、呂不韋の成り上がりや中国統一におけるその存在の重要性について、その一部をまとめます。
呂不韋は元々は大商人
呂不韋は成りあがって大きな力を手にするのですが、元々は商人でした。
安く仕入れて高く売ることで大きな富を築き上げたとのことです。
今の時代でいうところの、中古品の転売のような感じでしょうかね(^^)。
呂不韋は商用であちこちを飛び回っていて、
あるときその後の運命を大きく変えることになる出会いをすることになりました。
趙の都で呂不韋は、やがて秦国王となる人に出会います。
名は子楚といい、後の荘襄王です。
「奇貨居くべし」とは?
趙の都でのその出会いは、「奇貨居くべし」ということわざの由来となりました。
どういう出会いであったかについて理解いただき、ついでにこの「奇貨居くべし」の意味も説明しましょう。
当時の秦の王は、昭王でした。政のひいおじいさん(曾祖父)で、
キングダムの世界では「戦神」と呼ばれ、あの王騎将軍が心酔していた王様です。
趙の都で呂不韋が出会ったのは、その昭王の孫の一人でした。
先ほども出てきた通り、名前は子楚といいました。
秦の国の王族がなぜ趙の国にいたのかというと、人質として送られていたからです。
昭王の子の誰が次の王になるかはすでに正式に決まっていたのですが、
さらにその次の王が誰になるかに関しては、決定はまだなされていませんでした。
しかし、子楚が王位につける見込みはありませんでした。
他国に人質として行かされるくらいですからね。
呂不韋は、子楚に力を貸し、ともに成りあがろうと考えます。
子楚が王位継承できるように呂不韋が動き、その企みは成功しました。
さて、「奇貨居くべし」の説明をするのでしたね。
「奇貨」とは「ほり出しもの」という意味で、
「居く」は、「手元にとどめておく」とか「買い入れる」という意味です。
つまり、呂不韋は、他国の人質となった王族である子楚を見て、
「掘り出しものを見つけた」、
「今買い入れておけば、後で価値が出るはずだ」と考えたということになります。
実際、子楚を支援することで王位につかせ、自分も出世したので、
確かに、後になってから大きな利益につながっていますね。
呂不韋は始皇帝・政の父?
政の母親である太后は、元々は秦の国ではなく、趙の人でした。
それだけでなく実は、彼女は呂不韋と一緒に住んでいたのです。
あるとき呂不韋が子楚を家に招待したところ、
子楚が呂不韋に、彼女を譲るように頼んできました。
呂不韋にとっては苦渋の決断でしたが、
子楚に恩を売るために大金を費やしていたのだから、
今回も恩を売ろうと思って、彼女を譲りました。
「呂不韋列伝」によれば、
そのときすでに彼女は子どもを妊娠していて、後に無事にその子を産みました。
そして、その子どもこそが、政だったとのこと。
妊娠していたことは隠していたので、子楚の子ということになりましたが、
実は呂不韋との間にできた子だったという。
これはつまり、政の父親が呂不韋だったということを意味しています。
「キングダム」の世界ではあれほど政を苦しめている呂不韋が、実の父親だったというのは、意外な気がしますし、驚きですね!
ただし、このことは現在では否定されているようですが・・・。
中華統一は呂不韋のおかげ?
本人にそのつもりがあったとは思いませんが、結果的に見ると、
中国の統一において、呂不韋が果たした役割は、非常に大きいものでした。
先代秦王の太后との出会いと即位
まず第一に、呂不韋なしには、秦王・政という存在が成り立ちませんでした。
先ほども話に出てきましたが、政の父親が王に即位する前に、政の母親である出会ったのも、呂不韋のおかげです。
さすがに、政の父親が呂不韋であったというのは、司馬遷の創作であるとしても、
呂不韋がいなければ、政は生まれてすらいないというのは間違いないです。
さらにいうと、政の父親である先代の秦王(荘襄王)は、呂不韋が支援したことで王になることができたのでした。
王の子どもでなければ、王になることはできません。
つまり、政が生まれたことだけでなく、秦王になったことも、呂不韋のおかげと言えます。
李斯が始皇帝に中華統一を促した?
秦という一つの国の王に過ぎなかった政が、
中国を統一して「始皇帝」となったことに対しても、
間接的にですが、呂不韋の存在が大きな影響を与えています。
キングダムに描かれている呂不韋陣営には、優れた人材がたくさんいます。
特に「呂不韋四柱」たちは、そのキャラの魅力もあって人気ですよね。
中でも、李斯という人物は、「史記」の中でも大きく取り上げられています。
実は、李斯も実在した人で、歴史の教科書にも出てくるくらいの有名人です。
李斯は、楚の国の出身で、役人をやっていました。
しかし、乱世の中でチャンスをつかみたいと思い、自ら進んで秦の国に行きます。
秦で李斯は呂不韋の配下に入ったのですが、あるとき秦王・政に会う機会を得ました。
そしてそのとき、李斯は政に、他国を滅ぼして天下統一をすることをすすめたのでした。
なので、秦王・政が中華統一を目指したのは、李斯の提案によるものだったかもしれないわけです!
そして、他国からやって来た者が、王と話すようなチャンスをつかむためには、
その者のことを認める人物が必要であると考えられます。
李斯の場合は、呂不韋に認めてもらえたからこそ政と話せたのです。
その意味でも呂不韋の存在は、政が天下統一を目指して成功し、
始皇帝となったことと、切っても切り離せないものであったと言えますね。
まとめ
司馬遷の「史記」に記述されている呂不韋の情報についてまとめました。
今回の内容は、キングダムを知る人にとっては、意外なものだったことでしょう。
キングダムには、創作の要素がかなり多いので、
歴史書を読んだときとキングダムを読んだ(観た)ときとで、
大きく人物への印象が変わってくるのです。
しかし、今回の場合は特に、呂不韋が政の父親だったという説が出てきて衝撃でしたね。
ただ、「史記」は、必ずしもすべてが事実に基づいて書かれているとは限りません。
この説は、本文にも書いたように、最新の歴史研究では、否定されているそうですので、安心(?)してください。
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